二足歩行の人魚姫

その事件の始まりはジメジメしていた

「ふむ、変な時間の待ち合わせだったからね、人間以外が待ってる可能性は考慮してたけど、これは流石に…」
 早朝の深い靄の中、路地裏で話し込む人影がふたつ。男は仕立ての良い礼服に身を包み、その目の前に立つ青年は、パジャマを隠すようにロングコートを羽織っていた。
二人の足元には、全長30センチほどの魚。そしてその口からは成人男性と思われる人物の、右腕が生えている。その先の手のひらはかたく握られていた。
「…魚に食べられてる」
 眠そうな目をこすりながら青年が一言呟いた。
「よく見なよグレゴワール。どう考えたって、この腕をもつ人物が全身丸々収まってるようには見えない」
 磨かれた革靴のつま先で、魚の腹を少し持ち上げるようにつつく。それに合わせて、まだわずかに息のある魚のエラが、苦しそうに開いた。
「タラだ…。持って帰って食べよう」
 グレゴワールと呼ばれた青年は大きな欠伸をしながら魚を指差した。気持ちよく寝ていたところを叩き起こされて、こんな肌寒い場所に連れてこられ、男の腕を口から生やした魚を目にしていまだに頭が働いていない。
「正気かい?ま、君がそう言うならいいけどね。俺は遠慮するよ」
 と言いながら、男は手袋を外しそれをグレゴワールに向かって放り投げる。何処からともなく真っ白なクロスを取り出し、礼服が汚れるのも厭わずしゃがんで手早く魚をクロスで包みあげた。
「タラ…、いや、その男は死んでるのか?」
 グレゴワールが首を傾げて尋ねる。
「魚はギリギリ息がある。腕が切り取られただけなら男の本体の方はまだ生きてるんじゃないかな。何処にいるかは検討がつかないけど。腕はもうダメだ、だいぶ青い」
「そうか…。じゃあまず部屋に着いたら、バスタブに水を張ってタラを入れておこう。元気になれば、喋るかもしれん」
 他人が聞いたら、ただの冗談に聞こえるこの発言に、礼服の男は何もおかしな点を感じないとでも言うように答えた。
「だといいけど。喋る蛸の怪物には出会った事はあるけれど、この魚はどうかな。知性の感じられる顔をしていない」
腕の方はどうする?と聞かれたグレゴワールは、またひとつ、大きなあくびをした。

「もうくっつけても機能はしないんだろ?ならやることは1つだ」

 早くベッドに入って足りない分を睡眠をとりたいとでも言うように、自宅の方へ足を向けた。もう、というより、現場にはもともと興味はないようで、男性の腕を口から生やした魚がいた場所を、ちらりとも見ずに歩き出す。

「ドクターに連絡しておけ、ニコラウス」

「了解」
 ニコラウスと呼ばれた男は目を伏せて答えると、クロスに包まれたタラを抱え、その後をついて行った。
←Back Top Next→
Copyright© 2018 Thojyo Shizuki All rights reserved.designed by flower&clover
inserted by FC2 system