王女リュッゲベルタの記憶

きらめく日々の七人姉妹 ; 02

 アッシュモルトから逃げるようにして中庭を抜けて、隣の棟に入る。鬼ごっこの鬼役を押し付けられたのは星の数ほど。長い廊下を一瞥し、見知った影がないのを確認してから端の部屋から扉を開ける。部屋ひとつひとつもこれがまた広いので、隅々までは探さない。部屋の中程まで進み、ぐるりと辺りを見回す。気配がなければ次の部屋。あの二人はじっとしていることが苦手なので、ドレスの擦れる音、呼吸音、抑えきれなかった笑い声でみつけられるから、大雑把な探索で事足りる。そして、出会う使用人には声をかけて情報を集める…ていうのが、いつもの私のやり方だ。
 部屋を三つほど調べて次の扉をあけると、末妹のユグドラシアと二人の天文学者が机を囲って天体図を眺めていた。扉の前に使用人が控えていなかったから、使われていない部屋だと思い込んでいたので、その光景に少し驚いた。向こうも来客を予測していなかったのか、私が開いた扉の音で室内の全員がこちらを振り向いた。
「あら、ごめんなさい。邪魔するつもりはないわ、妹を探しているの。フランチェスカとチャスラフスカは見なかった?」
 星見学者たちは、私の質問に顔をあわせ皆首を横に振った。ユグドラシアがそれを取りまとめて、眠そうな声で答える。
「みていません、お姉さま。双子のお姉さまならきっとお花の香りの真ん中です」
「そう。あなたの勘は当たるものね。庭の方を探すわ、ありがとう」
「お待ちになってリタ姉さま。是非ユグドラシアの発見をおききになってくださいな」
 何事かはわからないけれど、学者が同席しているのだから、何かの学問の授業中なのかしら。それなら邪魔をしてはダメねと出て行こうとしたところで、末妹に呼び止められた。双子と遊んでいる最中ではあるけれど、ユグドラシアのお願いを断るのも心が痛む。どうしようかな、と考えていると、妹はソファの、自分が座っているすぐ隣を手でポンポンと叩いて、私の着席を促した。まあ、少しの時間くらい大丈夫でしょ。どうせこの広い敷地内での隠れんぼなんて、見つけられるわけがないのだし。
「いいわよ。何を見つけたのか、是非お姉さまに教えてちょうだい」
 開けっ放しにしていた扉を閉めて、彼女たちのもとに向かう。ユグドラシアのすぐ後ろに控えていたお付の騎士が、長椅子のクッションを寄せて彼女のすぐ右隣に私の座る場所を整えてくれた。お礼を言って腰掛けると、妹は私にぴったりと寄り添い、腕を絡める。
「ここ。ここに新しい星をみつけましたの」
 大きな紙に黒のインクで描かれた天体図。その中に一点だけ赤で書き込まれた星を、あいている左の手で指し示す。末妹は幼いながら天体に興味を持ち、健康に悪いからと叱られても夜通し夜空を眺めることやめないくらいの星好き。たとえ毎日観ていたとしても、私にはあの無数にある光が一つや二つ増えようが気付ける自信はない。もしかしたら妹の勘違いなのではとも思ったが、前に座る天文学者たちの嬉しそうな顔を見ると、どうやら本当に新しく見つかった星のようだ。ユグドラシアも昨晩は星を眺めていて寝不足なのか、ふわあと小さくあくびをした。
「代わりにお話ししましょう」
 そんな彼女の様子を見て、向かって左側に座る初老の男性が口を開いた。隣には、彼の助手なのか若い金髪の青年。二人とも天文学者の制服を着ている。空は、私達壁の中の住人が唯一興味を引かれ、探求する外の世界。星の動きは時間を、雲の動きは天候を教えてくれる。各街に小さな学会の棟があり、この城の、北に位置する棟のひとつもその学会の本部になっている。ここの学会の制服はローブで、黒にもみえる深い青色、垂れたストラには金色で星の刺繍がされていて、一目で星見を生業としているのがわかる。
「私共学者が確認したのは昨夜のことです。とても小さな星です。あまり明るくない星ですから、肉眼で探すには私のような老いぼれには無理でしょうな」
 にこやかに笑いながら話す目の前の彼は、白髪で分厚いレンズの眼鏡をかけていた。
「こちらがユグドラシア様が執筆された報告書です。お若いのに、大した観察眼と文章力をお持ちだ。この星を初めて目視した日から二週間、毎晩観察していたとか。過去の天体図との比較もあります。新しい星として登録するにはまだ研究が必要ですが、一先ず発見を報告する書類としては申し分ありません」
 綴じてある紙の束を広げて、こちらへ向けてくれる。毎日の天気とか気温とか星の色、一定の時間に何度瞬いた等の記録のほかに私にはわからない専門用語の羅列や数値が丁寧に並んでいた。なんだか難しい絵日記のように見える。文字に幼さは残るが、読みやすく知性と愛を感じさせる紙面だった。
「ユグドラシアの言う事を良くきいてくれる騎士がひとり、毎晩こっそり部屋を連れ出してくれたのです」
 私の方を見上げて、眠そうな目をにっこりとさせる。確かに毎晩星を観察していたのだから、相当寝不足なのだろう。ちょっとそれは問題発言じゃない?と思う内容に、背後から騎士アダムスのため息が聞こえた。
「メイドも俺も知らなかったんですよ。その騎士は相当夜闇に紛れるのが上手いらしい。しかもユグドラシア様はその騎士の名を言うつもりは無いって言うし。王女さまの命とはいえ、健康に支障が出る行動は厳重に処罰すべきだ。今後は室内に見張りをつけますからね」
 騎士が王族に向けるには砕けすぎた口調だが、私は彼のこの距離感が嫌いじゃない。礼儀にうるさい他の騎士から厳しく言われている所をよく見るけど、これくらいの調子だと、こちらからも話しかけやすい。自由気ままなユグドラシアとも波長があっている気がした。とはいえ、一応仕える身として彼女の健康に気を使ってくれているあたり、自分の立場はしっかり弁えている。
「嫌です!どんな絵本より子守唄より、星の囁きが一番良く眠れるのですよ」
 妹が私の腕を抱いている手に力を込める。無意識かわざとか、こういうときは大体「お姉ちゃん、味方して!」の合図。
「そうね、今回ばかりは良かったじゃない。その騎士はちょっと困り者だけど。ええと、私は天文学には疎いのだけど、この発見は彼女の功績になるのよね?」
 天文学者に話を振り、流れを反らす。
「ええもちろん。制度が整ってからは、第一の発見者が星の名づけを行い、星の一覧に登録されることとなっていますので。ユグドラシア様がこの報告書を我々に提出なされたのは二日前。それ以前の消印で封書が届かなければの話ですな」
 ははは、と学者の二人は笑う。今まで天文学に明るく名を残した王族はいたが、ユグドラシアのような年齢では初めての事じゃないかしら?姉として素直に嬉しかったし、目の前の二人も妹の偉業に感心し新しい星の発見に喜んでくれているようだった。
「すごいわユグドラシア。貴方は自慢の妹ね。陛下はもうこの事を知っているの?」
「学会に提出する前にご報告にと伺いましたが、容態が安定せず面会できていません。俺は先に許可を得た方が良いと言ったのですが、ユグドラシア様が勝手に天文台に潜り込んでしまいました」
 アダムスが両肩をすくめる。私達の母親、女王陛下は数ヶ月前から病に侵され自室で療養している。娘の私達も医師や取巻きの大臣の許可が下りなければ会う事すら叶わないほど悪化しているらしい。母親に無許可で行動したのは咎めるべきだが、内容が評価されるべき事のためなんて言えば良いか迷っている顔をしている。
「まあ悪い事ではないから事後報告でも良いんじゃない?嬉しい知らせに少しでも体調が良くなってくれる事を願いましょう。それで、星の名前はもう決まっているのかしら?」
「丁度その事について話し合っていました」
 妹の顔を覗き込む前に、アダムスが代わりに答えてくれた。
「ユグドラシア様はこのお城の真上にある時に誕生した星なので、このお城の名前にちなんだものが良いとの事ですが、俺はご自身の名前を付ける方が良いのではと意見していた所です」
「そうね、私なら自分の名前の星を持ちたい所だけれど、妹の案も素敵ね。あら?」
 左腕が重いと思ったら、今にも眠ってしまいそうな妹が殆どの体重を預けていた。もしかしたら連日の夜更かしの限界が来たのかも。昼食までに時間はあるし、少し仮眠をとらせた方が良いかもしれない。
「ごめんなさい先生方、どうやらユグドラシアは少し横になった方が良いみたい。このお話は、またの機会でも?」
 研究に忙しいであろう彼等に謝罪し、妹の代わりに約束を取り付ける。
「勿論ですよ。折角なら陛下の意見も仰いでみては?我々はいつでも天文台にいますので、どうぞ都合のいい時にお呼びください」
 彼らの笑顔が返ってきたので安心する。書類や道具の片付けは彼らに任せて、私は妹を寝かせられる場所を思案する。
「アダムス、彼女を運んで頂戴。この子の部屋までは遠いわね。一番近いエッヴァユリナ姉さんのベッドを借りましょう」
「かしこまりました。エッヴァユリナ様が不在の場合どうします?」
 アダムスは妹の体の下に腕を回して抱き上げる。
「そんなの事後報告よ。あのお姉さまなら断るはずないわ」
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